過去の活動報告をご紹介いたします。
6月17日、初めて本会議での一般質問に立ちました。
議員の役割はたくさんありますが、最も重要な役割の一つが付託をいただいた3608名の思いを背負って役所に意見を伝えることです。
中でも本会議場での一般質問は、区長はじめ全ての部署の部長が集まる場所で、区民の代表の一人としてあるべき方向性を示し、区の見解を伺う大切な場所です。
初めてということもあり、緊張しながらの質問でしたが、選挙中に訴えてきた内容を兎に角まっすぐに伝えるため、しっかりと準備をして臨みました。
選挙中に一丁目一番地として訴えたことは少子化対策についてです。すぐに解決できる問題ではありませんが、急速に進む少子高齢化の中、区として少子化対策に取り組み、我々現役世代が安心して二人目、三人目と子供を産み育てられる環境整備を整える必要性を訴えました。
二つ目は、震災時における町会・自治会との連携についてです。震災時の消防による消火活動、救出活動には限界があります。消防団や町会・自治会を中心とした共助の体制を整えることが必須であると訴えました。
三つ目は防犯カメラの設置促進についてです。世田谷一家殺人事件から15年を前に、凶悪犯罪を未然に防ぎ、早期解決につながる防犯カメラの設置促進を要望しました。
四つ目は育児不安の軽減と児童虐待防止について。核家族化が進むにつれ、私の周りにも育児に悩む家庭があります。結果として児童虐待に繋がり、不幸の連鎖を断ち切る取り組みを要望しました。
最後は、中学校の教科書採択と近現代史の教育について質問しました。中学校の歴史教科書採択を前にして、学習指導要領の内容を十分に踏まえた、公正な教科書の採択を要望しました。
阿久津皇の議会での活動はインターネット中継でご覧になれます。
©Seiji Arai
平成27年5月24日、第42回成城消防団可搬ポンプ操法大会が多摩川河川敷の白バイ練習場にて行われました。
地域の防災を担う消防団の練度を競う操法大会に、本年度は選手のリーダーである指揮者として出場しました。
昨年は2番員として出場し、7分団中5位と悔しい思いをしたので、第5分団としても雪辱を期した大会となりました。
©Seiji Arai
本年度は選挙直後の大会ということもあり、4月から始まる練習にも半分しか参加できず、皆に迷惑を掛けたので気合が入っていました。
また一番員を岡本に住む兄が務め、兄弟での出場ということもあって、何とか結果を出したいという気持ちが大きかったです。
地域の皆さんの期待も大きく、直前の激励会や当日の会場での応援に大勢が駆けつけていただき、選手も団員の皆も嬉しい限りでした。
指揮者の力不足、練習不足、経験不足はいかんともしがたく、残念ながら7分団中今年も5位と残念な結果となりました。
©Seiji Arai
内容もタイム、行動減点とも昨年より悪い結果となり、順位以上に今年のチームの力不足が露呈してしまいました。
全ての結果は指揮者である私の力不足です。来年は指揮者の指導員として携わる予定ですので、今年の反省を来年に生かして、来年は地元の皆さんの期待に応えられる結果を残せるように全力を尽くします。
4/26投票の世田谷区議会議員選挙にて3608票、全体の39番目で当選させていただきました。
本当にお手伝いいただいた皆様、応援いただいた皆様のおかげ様です。区政には是々非々で対応し、お託し頂いた議席に対してしっかりと責任を果たさせていただきます。
今、この国の政治に対する信頼は揺らいでいます。世田谷区議選は投票率が若干上がった(41%→42%)ものの、統一地方選全体では過去最低を記録し、政治不信は底を打つ気配がありません。それも、この国の政治が旧態依然としたままで自浄能力がなく、有権者が一票を投じる意味を感じられないからに他なりません。結果として組織票を持つ政党が議席を伸ばし、新しい力が入る余地が益々なくなるという悪循環に陥ったままです。
このままでは一部の既得権を守る政治・行政が続き、1000兆を超える国と地方の借金は更に増え、少子化のなかで次世代の子供たちの負担は加速度的に増大し、遠くない未来に日本は破たんします。1000兆を超える借金は、場当たり的な政治を続けた私たち現役世代が残した次世代の子供たちへのツケです。私たち大人は子供たちに借金でなく明るい未来を残さなくてはなりません。
政治不信を払しょくし、信頼できる政治家としてリーダーシップを発揮して次世代の子供たちが未来に夢や希望を持てる世田谷にするため、人生を捧げる覚悟です。
IVUSAの石原くんと
2/8~2/10まで、沖縄県糸満市にて遺骨収集ボランティアに参加しました。
沖縄南部には「ガマ」と呼ばれる鍾乳洞のような自然洞窟が多くあり、太平洋戦争末期の沖縄戦では、住民や日本兵の避難場所として利用されました。
米軍の攻撃が激しくなるにつれて、撤退する日本兵と住民はガマごと攻撃されたり自決に追い込まれたりして、多くの日本人がガマの中で亡くなりました。
沖縄戦での犠牲者18万6500余のうち、未収集の遺骨は約350柱とのことですが、70年経った現在でも手つかずのガマが1000カ所以上あるそうです。
厚生労働省による遺骨収集は約115万柱が眠る海外や小笠原での活動に集中しており、沖縄本土での遺骨収集が年々困難になっているとのことです。
私たちは日本青年遺骨収集団(JYMA)主催の自主派遣に参加し、国際ボランティア学生協会(IVUSA)など160名を超える学生たちと一緒に活動を行いました。
これほど大掛かりな遺骨収集は過去に例がないとのことで、一行にはフランスメディア、NHK、フジテレビ系列の地方局といったマスコミも同行していました。
2/8~2/10まで、沖縄県糸満市にて遺骨収集ボランティアに参加しました。
私たちの入ったガマからは小指大の人骨と銃弾5発、液体が入ったアンプル3本、軍靴2足などが出てきました。
全体としては推定で12柱、頭の骨や子供の顎の骨、身元判明に繋がった印鑑、ハーモニカなどが発掘されました。
発掘した遺留物からガマでどのような活動があったのか推測し思いを馳せ、遺骨を丁寧に並べ拝んだあと、平和記念公園にある仮安置所へ納骨します。
身元を判別できる遺留品が見つかる可能性のある場所から出てきた遺骨に関しては、発掘が終わるまで別に保管され、身元が判明したら遺留品と一緒にご遺族へ届けるそうです。
白梅の塔近くのガマにも潜り、
手を合わせてきました
遺骨収集作業は70年積もった土砂を掘り返すことから始まり、体力が必要です。ジャングルや洞窟を進むので、危険も伴います。
獣骨や軽い石などと間違わないよう、人体の骨格や特徴の勉強も欠かせません。私は専門家と一緒だったのでお手伝い可能でしたが、JYMAやIVUSAの学生たちは一日座学をしてからの参加だそうです。
帰京してから私のFacebookを見てくれた方に、「私の叔父も見つかっていないんです。頑張ってね」と言われ、この活動の必要性を実感しました。
海外での戦没者約240万人のうち、日本に送還されたご遺体は約半数の約125万柱であり、約115万柱は今でも旧ソ連の極東地域、小笠原、マリアナ諸島に残されたままになっています。
©Seiji Arai
平成26年5月25日、第41回成城消防団可搬ポンプ操法大会が多摩川河川敷の白バイ練習場にて行われました。
火災や水害、あるいは震災時に活動する消防団、日常から訓練をしていないといざという時に何もできません。
成城消防団は地域ごとに7つの分団があり、普段の訓練の成果を年に一回操法大会で競います。
©Seiji Arai
リーダーである指揮者の下、1番員から4番員、補助員も含めた6名の選手がそれぞれ役割について規律、速さ、正確さを競うものです。
およそ60メートル前方の火点までホースを3本繋ぎ、後方にある水槽からポンプで吸水し、ホースの先から放水します。
更に、家屋等の中に前進して火元を消化することを想定して、ホースを一本増加して更に20メートル前方の二つ目の火点まで進み、放水します。
そこまでのタイムを競うのですが、2番員はポンプと放水地点との連絡やホースの運搬を担うので、ホースを担いで60メートルほどの距離を3本全力疾走します。
2年前の操法大会も2番員で出場し銀メダルを獲得していたので、今回は常勝軍団の6分団さんを脅かすくらいの成績を目標に出場しましたが、残念ながら7分団中5位と振るいませんでした。
それでも前回よりタイムも規律減点も改善されていたので、他の分団の練度が向上し成城消防団全体の能力が向上したと言えるでしょう。
本年の操法大会(5/24)は、指揮者として出場する予定です。